この記事の要約
猛暑の午後、スーパーで見つけたかき氷用のイチゴシロップ。北海道の短い夏休みを思い出し、思わず買って帰りました。冷たい牛乳で割ったいちごミルクは、スプーン二杯で十分に甘く、大人になった味覚の反面、鮮やかな色に心躍る純粋なワクワクは5歳の頃から変わっていないことに気づきます。無理に大人びるのではなく、私らしいストレートな明るさを「今の私の加減」で届けていきたい。そんな真夏の内省を綴りました。
スーパーの棚で見つけた、鮮やかな赤い瓶
猛暑が続く7月末。外を歩いているだけで、アスファルトの熱気で足元から溶けてしまいそうな日差しの下、涼しさを求めてふらりと立ち寄ったスーパーでのことです。

冷房の効いた店内に入った瞬間の、あの生き返るような心地よさにホッと息をつきながら、私は冷たい飲み物を探して歩いていました。アイスコーナーの冷気に癒されながら通路を曲がった私の目に、とても懐かしいものが飛び込んできたのです。
それは、季節商品の特設コーナーにずらりと並んだ、かき氷用のイチゴシロップの瓶でした。透明なプラスチックの容器にたっぷり詰まった、目が覚めるような鮮やかな赤色。それを見た瞬間、一気に北海道の実家で過ごした夏休みの記憶が蘇ってきました。
北海道の夏は短くて、お盆を過ぎるともう朝晩には秋の風が吹き始めます。だからこそ、短い夏休みが始まるとお母さんが必ず買ってきてくれるこのシロップは、私たちきょうだいにとって特別な「夏の合図」でした。三人で一つの大きな手回し式のかき氷機を囲み、ガリガリという音を響かせながら、誰が一番氷を赤く染められるか、誰が一番甘い部分を食べられるか、本気で競い合っていたあの頃。
お小遣いを握りしめて買いに行った駄菓子屋さんの記憶や、ラジオ体操の帰りに見上げた真っ青な空の記憶まで、一本の瓶が次々と引き出してくれます。今の部屋にはかき氷機なんてないし、一人でシロップを使い切れる気もしないのに、気づけばその赤い瓶を買い物カゴに入れていました。どうしても、あの頃のワクワクをもう一度、手元に置いておきたくなったのです。
白いマグカップに広がるマーブル模様と、昔の私
帰宅してすぐ、手洗いうがいを済ませて冷蔵庫を開けました。かき氷の代わりになるものを探して、目についたのは紙パックに入った冷たい牛乳。これなら「いちごミルク」として楽しめるかもしれないと思いつき、食器棚からお気に入りの白いマグカップを取り出しました。
真っ白な牛乳の表面に、スプーンですくった真っ赤なシロップをそっと垂らします。ぽた、ぽた、と落ちた赤いしずくが、白いキャンバスにじわっと広がっていく様子は、見ているだけでなんだかハッピーな気持ちになります。スプーンの背でくるくるとかき混ぜると、赤と白が渦を巻きながら混ざり合って、可愛いピンク色のマーブル模様が生まれました。
子供の頃の私は、とにかく「濃い色」と「強い甘さ」が正義だと信じていました。お母さんの目を盗んでは、かき氷の氷が見えなくなるまでシロップをドバドバと注ぎ足し、器の底の方に甘い塊が沈むくらいが一番美味しいと思っていたのです。
5歳でテレビのアイドルに憧れて、見よう見まねでダンスを始めた時もそうでした。周りの大人たちから「現実見なよ」と笑われても、絶対にアイドルになるんだと信じて突き進んでいたあの頃の私。思い返せば、夢に対する姿勢もこのシロップの注ぎ方と同じくらい、猪突猛進で加減を知らなかったのかもしれません。とにかく前へ、とにかく全力で。不器用だけど、一直線なエネルギーだけで走っていたあの頃の自分の姿が、ピンク色に染まった牛乳に重なって見えました。
スプーン二杯の甘さと、変わらないワクワクの正体
できあがったいちごミルクを一口飲んでみて、少しだけ驚きました。スプーン二杯しか入れていないのに、今の私にはこれで十分に甘く感じられたのです。あんなに甘党だったはずなのに、いつの間にか味覚が少しだけ大人になっていたみたいです。昔の私が見たら「色が薄い!全然足りないよ!」と頬を膨らませて文句を言うかもしれません。

でも、舌で感じる甘さの好みや適量は変わっても、不思議なことに「心で感じるワクワク」は全く変わっていませんでした。
スーパーの棚で鮮やかな赤色を見つけた瞬間の胸の高鳴り。マグカップに広がるピンク色を息を呑んで眺める楽しさ。それは、5歳の時にテレビでキラキラ輝くアイドルを初めて見た時の、あの純粋なときめきと同じ種類のものでした。
大人になるにつれて、物事の捉え方や好みのバランスは少しずつ変化していくものです。手作り衣装のフリルのボリュームを少し抑えてシルエットを工夫してみたり、ダンスの振り付けで引き算の美しさを学んだり。でも、理屈抜きで「好き!」と思える直感や、心がパッと明るくなるようなワクワクの根っこは、何年経っても色褪せないんだなと、甘いミルクを飲みながらしみじみと感じました。
変わっていく部分と、絶対に変わらない部分。その両方があるからこそ、私は私らしく前に進んでいけるのかもしれません。
引き算を覚えたからこそ気づけた、私の原色
実は最近、他のアイドルの洗練されたパフォーマンスを見るたびに、「私ももっと大人っぽく、落ち着いた表現を身につけたほうがいいのかな」と迷うことがありました。
SNSのコメントでも、少し大人びた表情をした写真にたくさんの反響をいただいたりして、自分の持ち味である「元気いっぱい」な部分が、もしかしたら少し幼く見えてしまっているのではないかと不安になる夜もあったのです。応援してくれるみんなに、もっといろんな私を見せなきゃって焦っていたのかもしれません。
でも、このイチゴシロップの鮮やかな赤色を見て、そしてそれを牛乳で割った優しいピンク色を味わって、なんだかスッと肩の力が抜けました。
原色の赤をそのままドバドバと注ぐだけだった子供の頃とは違い、今の私には、それを牛乳で割って心地よいピンク色にする「加減」がわかっています。元気に弾ける笑顔という私の原色を消してしまうのではなく、見せ方やタイミングを少しだけ工夫する。引き算を覚えた今の私なら、あの頃よりもっとたくさんの人に、私の明るさを心地よく受け取ってもらえるはずです。無理に背伸びをして別の色に染まらなくても、私らしい赤色を大切に育てていけばいいんだと、ストンと腑に落ちました。
ストレートな明るさを届けるための、今の現在地
ふと、私がみんなに届けたいパフォーマンスも、このイチゴシロップみたいなものかもしれないな、と思いました。
世間には、複雑なスパイスが効いたおしゃれな味や、繊細で奥深い表現がたくさんあります。それもすごく素敵だけれど、私が目指しているのは、見た瞬間に「なんだか元気が出そう!」と思ってもらえるような、ストレートで分かりやすい明るさです。
落ち込んでいる時や、ちょっと疲れてしまった時。難しいことを考えなくても、ただそこにあるだけで心をふっと軽くしてくれるような存在。お母さんが教えてくれた「笑ってる人のところに夢は来る」という言葉のように、まずは私自身がとびきりの笑顔でいることで、みんなの日常に鮮やかな色を足すことができたら最高です。
子供の頃のようになんでも全力でドバドバ注ぐだけではなくて、今の私だからこそ作れる「ちょうどいい甘さ」と「最高のピンク色」のバランス。それを探しながら、これからも私らしいやり方で、たくさんの人に元気の魔法をかけていきたいです。
マグカップの底に残ったほんの少しの甘さを飲み干して、明日もまた、とびきりの笑顔で朝を迎えようと心に決めました。スーパーの棚で見つけた一本の瓶が、忘れかけていた大切なことを教えてくれた、真夏の午後の出来事です。
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