この記事の要約
午前中のひとりカラオケで、小学生の頃に大好きだった憧れの曲を久しぶりに歌ってみたときのお話。当時はただキラキラしたメロディに惹かれていたけれど、マイクを握りながら画面の文字を追うと、そこには見えない悔しさや泥臭い努力が描かれていることに気づいた。遠い憧れだった曲が、今の私を力強く励ましてくれる応援歌に変わった瞬間の出来事と、その余韻を綴ります。
貸し切りの防音室と、ふと思い出した宝物
朝の冷たい空気がまだ少しだけ残る午前中の街を抜けて、よく通っているひとりカラオケのお店へ向かった。重たい防音ドアをガチャリと閉めると、外の車の音や人々の話し声が嘘のように静まり返る。この小さな密室空間が、私は結構お気に入りだ。壁に囲まれた少し薄暗い部屋の中で、まずはいつものように喉の調子を整えるための発声練習から始める。リップロールで唇を震わせながら音階を上がり下がりし、ハミングで鼻の奥に響かせる感覚を確かめる。

持参したペットボトルのお水を一口飲んでから、最近よく歌う課題曲をいくつかデンモクに入力していく。スピーカーから響く自分の声にじっと耳を傾けながら、高音の伸びや息の使い方のバランスを少しずつ調整していく。毎日の地道な積み重ねが、確実に自分の引き出しを増やしてくれていると実感できるこの時間は、私にとってかけがえのない日課になっている。
ひと通りのメニューを終えて、残りの30分をどうしようかと画面をスクロールしていた時だった。何気なく動かしていた指が、あるページでピタリと止まった。履歴のずっと下の方、誰かが何時間か前に歌ったのだろうそのリストの中に、ひときわ輝いて見える曲名があったのだ。それは、私がまだ北海道の小さな町で小学生だった頃、テレビに釘付けになりながら夢中で口ずさんでいた曲だった。無意識のうちに送信ボタンを押すと、すぐにお馴染みのポップなイントロが部屋いっぱいに鳴り響く。その瞬間、防音室の空気がガラリと変わり、一気に時間が巻き戻ったような不思議な感覚に包まれた。
ブラウン管の向こう側にいた、無敵のヒロイン
あの頃の私は、この曲がテレビから流れてくるたびに、おもちゃ箱から引っ張り出したピンク色のヘアブラシをマイク代わりにして、鏡の前で熱唱していた。北海道の長く厳しい冬。窓の外は分厚い雪に覆われていて、走り回って遊べない日が何日も続く。そんな退屈な午後でも、ストーブの熱で窓ガラスがうっすらと曇るぽかぽかした部屋の中でこの曲を歌っている時だけは、自分が無敵のヒロインになれた気がしたのだ。母が作ってくれたおやつの匂いが漂うリビングが、私にとっての最高のステージだった。
サビのキャッチーなメロディと、画面の中でキラキラと笑う姿。ただただ「可愛い!」「私もこんなふうになりたい!」という純粋な憧れだけで胸がいっぱいだった。当時の私にとって、その曲は魔法の呪文のようなものだったのだと思う。歌えばなんだか体の底から元気が湧いてくるし、明日にはもっとすごい自分になれるような気がしてくる。メロディの楽しさと華やかなリズムだけを全身で浴びて、歌詞の深い意味なんて少しも考えていなかった。ただただ、テレビの中の笑顔に追いつきたくて、一生懸命に声を張り上げていた。
スピーカーから流れてくるメロディに合わせて、自然と体がリズムを取り始める。昔の記憶のままに、とにかく明るく元気な声を出そうとマイクを構え、画面に表示される文字を追い始めた。
モニターの文字が教えてくれた、隠された泥臭さ
いざ歌い始めてモニターの文字を追っていくうちに、だんだんと胸の奥がざわつき始めた。昔はサビの派手な部分ばかりに夢中で、AメロやBメロはただの助走くらいにしか思っていなかった。けれど、画面に白抜きの文字で表示され、リズムに合わせて鮮やかな色に塗りつぶされていくその言葉たちを一つずつ自分の声に乗せていくと、そこには私が全く知らなかった別の世界が広がっていたのだ。

「転んで泥だらけになっても」「見えない場所でこぼした悔し涙は」。そんな、華やかなステージの光からは想像もつかないような、生々しくて泥臭いフレーズが、そこには確かに刻まれていた。ただの底抜けに明るいハッピーな曲だと思い込んでいたのに、本当は何度もつまずいて、高い壁にぶつかって、それでも必死に立ち上がろうとする不器用な強さを歌った曲だったんだ。明るいメロディの裏で鳴っているベースの低い音が、まるで歯を食いしばる時の鼓動のように聞こえてくる。
その事実に気づいた瞬間、なんだか胸の奥をぎゅっと掴まれたような衝撃を受けた。私が憧れていたあの眩しい笑顔の裏側には、見えないところでの途方もない努力や、思い通りにいかない焦りがあったのかもしれない。それを全部乗り越えて、あえてあの底抜けの明るさを届けてくれていたんだ。そう思うと、マイクを握る手に思わずぎゅっと力が入った。
憧れの先で出逢えた、本当のメッセージ
毎朝5時に起きてストレッチや体力作りの練習を繰り返している今の私だからこそ、この言葉たちが痛いほど真っ直ぐに響いてくる。地方から夢を追いかけて、オーディションに落ちて悔しい思いをしたり、周りから「現実見なよ」と笑われて言葉に詰まったりしたこともあった。先が見えなくて不安になる夜だって、正直に言えば何度もある。でも、その泥臭い道のりすらも全部パワーに変えて、誰かの前では満面の笑みで立つ。その覚悟の重さが、今の私には少しだけわかる気がするのだ。
曲の終盤、最後のサビを歌い上げる頃には、私の声は最初よりもずっと太く、お腹の底から出る力強いものになっていた。昔はただの「遠い憧れ」だったこの曲が、今の私と一緒に並んで走ってくれる心強い味方に変わった瞬間だった。ただ可愛くてキラキラしているだけじゃない、強くてたくましい本当の魅力に、何年も経ってからようやく気づくことができた。
防音室の終了を知らせる電話が鳴り、荷物をまとめて外に出る。お昼どきの街の空気は、入ってきた時よりもずっと澄んで見えた。次にこの曲を歌う時は、ただ元気なだけじゃない、悔しさも強さも全部ひっくるめた私らしい笑顔と一緒に、もっと遠くまで届けられそうな気がしている。少しだけ大人になった私の声で、この魔法の呪文をもう一度響かせてみたい。空を見上げると、初夏の眩しい太陽が、これからの私を応援してくれるように力強く輝いていた。
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