この記事の要約
真夏の午後、いつもなら選ばない黒いリネンのワンピースに惹かれた日のこと。明るい色こそが自分だと思い込んでいたけれど、袖を通してみると、意外なほど表情がくっきりと際立って見えました。お母さんと一緒に選んだカラフルな布地の記憶を振り返りながら、少しずつ変化していく自分の「好き」を素直に受け止めるまでの過程を綴ります。
真夏の太陽と、いつも素通りしていたラック
7月半ばの暑い午後。容赦なく照りつける強い日差しと、アスファルトから立ち上る熱気に思わず目を細めながら、私は涼を求めて駅直結のショッピングビルへと逃げ込みました。自動ドアを抜けた瞬間に全身を包み込む、ひんやりとした冷房の空気。ほっと一息つきながら、ふらりと立ち寄ったお気に入りのアパレルショップでの出来事です。

店内に一歩足を踏み入れると、夏らしいアップテンポなBGMとともに、色とりどりの新作アイテムが目に飛び込んできます。私の足は、まるで磁石に引き寄せられるように、自然と明るいパステルカラーや、パッと目を引くビタミンカラーが並ぶコーナーへ向かっていました。いつもなら、迷わずレモンイエローのTシャツや、フラミンゴピンクのフレアスカートを手に取って、鏡の前であれこれと組み合わせを考えるのが定番のコースです。
「この色なら、見てくれるみんなも元気になってくれるかな」と、無意識のうちに自分のテーマカラーのようなものを心の中に設定して、服を選んでいました。でも、今日は少しだけ違ったのです。
ふと視界の端に入ってきたのは、普段なら絶対に素通りしてしまうモノトーンのコーナーにかかっていた、真っ黒なリネンのワンピースでした。フリルもリボンもない、ごくシンプルなデザイン。ハンガーにかけられたその服は、周りの鮮やかなアイテムたちが放つエネルギーに比べると、とてもひっそりとして、穏やかに呼吸をしているように見えました。
それなのに、なぜかその深い黒色から目が離せなくなってしまったのです。「いつでもパッと目を引く明るい色を着なくちゃ!」と、自分の中で頑ななルールを作っていた私にとって、黒は少し重たくて、気分まで沈んで見えてしまう色でした。そう思い込んでいたはずなのに、気がつけば私の手はそのリネンの生地にそっと触れていました。指先から伝わるざっくりとした布地の感触は、想像していたよりもずっと軽やかで、真夏の風を心地よく通してくれそうな涼しげな空気を纏っていました。
試着室のカーテンを開けて出会った、新しい輪郭
そのままワンピースを手に取り、店員さんに声をかけて試着室へと向かいました。「いつも明るい色ばかり選んでしまうので、こんなに真っ黒な服を着るのはすごく新鮮です!」と話しかけると、店員さんはにっこりと笑って「リネン素材なら黒でも重たくなりませんし、きっと新しい魅力が引き出されると思いますよ」と背中を押してくれました。
カーテンを閉めて、少しドキドキしながら袖を通します。首元を整え、ウエストの細い紐を軽く結んでから、ゆっくりと鏡の前に立ちました。
そこに映っていたのは、私がずっと恐れていた「暗くて沈んだ印象」の自分ではありませんでした。服の色が深く落ち着いている分、かえって肌のトーンが明るく見え、何より顔の輪郭や目元の表情がくっきりと際立って見えたのです。私がずっと信じていた「明るい色を着ないと、元気なエネルギーが伝わらない」という思い込みが、するすると解けていくような不思議な感覚でした。
その場で軽くステップを踏んでみると、たっぷりとした生地の裾がふわりと揺れて、黒という色が持つしなやかな力強さが伝わってきました。いつもなら、元気いっぱいに飛び跳ねるようなステップが似合う私ですが、この服を着ていると、もう少しゆったりとした、波のような動きを試してみたくなります。
元気でポップなだけが私のすべてじゃない。こういう落ち着いたトーンの中に潜む熱量みたいなものも、ちゃんと表現できるかもしれない。自分の中の「好き」と「似合う」のストライクゾーンが、カチッと音を立てて少しだけ広がった瞬間でした。
ストーブのそばで広げた、色とりどりのサテン生地
黒いワンピースを着たまま鏡を見つめていると、ふと、北海道の実家の居間で、お母さんと一緒に衣装の布地を選んでいた時のことが頭に浮かびました。外は真っ白な雪が深く積もっていて、窓ガラスは冷たく結露しているのに、ストーブの暖かさに包まれたその部屋の中だけは、いつも熱気に満ちていました。

私たちは絨毯の上に、赤や水色、キラキラと光を反射するスパンコールの生地をいっぱいに広げて、あーでもない、こーでもないと夜遅くまで話し合っていました。
「あんたには、やっぱりパッと明るい色が一番似合うね。見てるだけでこっちまで元気が出るよ」
そう言って、少し老眼鏡をずらしながらミシンを踏んでくれたお母さんの言葉は、私にとって絶対に解けない魔法の呪文でした。「現実見なよ」と周りの人に笑われて、悔しくて泣きそうになった日も、この明るい色の手作り衣装を着れば、不思議と胸を張って前を向くことができたのです。
私にとって、明るい色を身に纏うことは、自分を奮い立たせるための鎧のようなものだったのかもしれません。だからこそ、無意識のうちに「黒」という選択肢を自分から遠ざけていたのでしょう。
でも、今日こうして黒い服を着て鏡の前に立っている私は、決してあの頃の魔法を忘れたわけではありません。むしろ、たくさんの明るい色に守られ、支えられてきたからこそ、今は違う色を着ても、しっかりと自分の足で立てるようになったのだと思います。鎧がなくても、私の中にある熱や明るさは、もう簡単には消えない。そんな小さな自信が、この黒いリネンを通して伝わってくるようでした。
クローゼットの端っこに迎えた、小さな変化
試着室を出て、迷うことなくその黒いリネンのワンピースをお持ち帰りすることに決めました。家に帰って、さっそくクローゼットの扉を開け、ハンガーに掛けてみます。
私のクローゼットは、それこそおもちゃ箱をひっくり返したようにカラフルです。ピンクのブラウス、レモンイエローのカーディガン、ミントグリーンのスカート。そんな色とりどりの服がひしめき合う中で、今日買ってきたその一着だけが、ぽつんと違う空気を放っています。
でも、その少し浮いているような光景が、今の私にはとても愛おしく思えるのです。ずっと変わらない信念を持ち続けることも大切だけれど、こうして日々の暮らしの中で、自分の「好き」や「似合う」が少しずつ更新されていくのは、すごくワクワクすることです。
明日の朝のダンス練習では、いつもより少しビートの重い、大人っぽい曲を選んでみようかな。そんな新しいアイデアまで次々と湧いてきます。自分が決めた枠をほんの少しはみ出してみるだけで、見慣れたはずの世界がこんなにも新鮮に見えるなんて。
クローゼットの端っこでそっと揺れる新しいワンピースが、明日からの私にまた新しいステップを教えてくれるような気がしています。
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