この記事の要約
朝早くから一人カラオケで歌の練習をした日の記録です。マイクの金属の冷たい感触や、スピーカーから響く私の声に耳を澄ませながら、形のない「歌声」と向き合いました。鏡で確認できるダンスとは違い、目に見えない声にどうやって私らしさを乗せるのか。故郷でのオーディションの記憶をヒントに、声に笑顔を乗せる実験をしてみた朝の気づきと、真夏の熱気に向かって踏み出す足取りを綴っています。
朝9時のひっそりとした空間と、金属の冷たさ
毎朝5時に起きるのがすっかり習慣になっています。パッチリと目を覚まして、まずはベッドの上でぐーっと背伸び。窓の外から聞こえるセミの鳴き声に夏の本格的な訪れを感じながら、軽いストレッチで身体を起こします。今日はずっと楽しみにしていた、一人カラオケでの集中練習の日。開店時間に合わせてお店に向かい、受付を済ませて小さな部屋に入ると、そこにはまだ誰も使っていない朝一番の澄んだ空気が漂っていました。ひんやりと冷房の効いた空間で、モニターの待機映像だけがチカチカと光を放っています。

テーブルの上にきちんと並べられた二本のマイク。そのうちの一本を手に取った瞬間、ずっしりとした重みと、網目状になった金属部分の冷たさが手のひらに伝わってきました。消毒用のアルコールの微かな匂いもふわりと鼻をかすめます。いつもなら部屋に入るなり、すぐに端末を操作してアップテンポなアイドルソングを予約し、飛び跳ねるように歌い始めるのですが、今日はなぜかそのひんやりとした感触をじっくりと味わってみたくなりました。
このマイクの重さは、ただの機械の重さではなくて、誰かに思いを届けるための道具としての重みなのかもしれない。そんな風に考えると、ただの金属の塊が、すごく特別なバトンのように思えてきます。スイッチを入れると、小さな赤いランプが点灯しました。まだ音楽を流す前の無音の空間に、「あー」と短く声を出してみます。スピーカーから返ってくる少しだけエコーのかかった音が、部屋の隅々まで満ちてゆくのを感じながら、今日の練習がいつもより少しだけ特別なものになりそうな予感がして、胸の奥がワクワクと弾みました。
壁に跳ね返る私の声の輪郭を探して
SNSでの配信のときは、スマートフォンの小さなマイクに向かって話しかけます。そのときの声は、画面の向こうにいるみんなへ直線的に届くような感覚があります。でも、カラオケの部屋では少し違います。マイクを通した声は一度スピーカーから出力され、壁や天井にぶつかってから私の耳に返ってくる。息を吸うかすかな音や、フレーズの語尾が震えるわずかな揺らぎまで、普段は意識しない細かな部分が、はっきりとした音の輪郭を持って浮き彫りになるのです。
思い切ってエコーの設定をゼロにして、素のままの歌声を響かせてみることにしました。ごまかしの効かない状態で歌うのは、すっぴんでステージに立つような気恥ずかしさがあります。録音アプリを立ち上げて一曲歌い切り、再生ボタンを押した瞬間。イヤホンから流れてくるのは、頭のなかでイメージしていた理想の歌声よりも、少しだけ自信なげで、高音部分で苦しそうに細くなる不器用な私の声でした。
「うーん、もっとキラキラした声を出したいのにな」と、ソファにコロンと転がりながら天井を見上げます。ダンスの練習なら、鏡に映るつま先の角度や指先の伸びを見て、すぐに修正点を直すことができます。手作りの衣装なら、布のたるみや縫い目のズレを目で確認して、もう一度ミシンをかけ直すことができます。でも、歌には形がありません。目に見えないものを磨き上げる作業は、まるで雲を掴むようなもどかしさがあります。それでも、この不器用な声の現在地をしっかりと受け止めることが、トップアイドルへの第一歩なのだと、改めて気合を入れ直しました。
目に見えないものに笑顔を乗せる実験
どうすれば、この形のない声をもっと魅力的にできるんだろう。そんな風に悩んでいたとき、ふと故郷の雪深い町で過ごしていた頃の記憶が蘇りました。高校1年生のときに挑戦した、札幌でのオーディション。結果は落選で大泣きしてしまったけれど、審査員の方からかけてもらった「君の笑顔には人を元気にする力がある」という言葉。そして、ずっと私を応援してくれている母の「笑ってる人のところに夢は来る」という口癖。そうだ、私の一番の武器は笑顔なんだ。

「声にも、笑顔を乗せることができるかもしれない」と思いつき、さっそく実験をしてみることにしました。鏡がない部屋のなかで、誰に見られているわけでもないけれど、とびきりの笑顔を作って歌ってみます。口角を思い切り上げて、ほっぺたの筋肉をしっかり動かしながら発声すると、不思議なことに音色までパッと明るく変化したのです。さっきまで苦しかった高音も、笑顔のまま勢いよく声を前に押し出すと、スコーンと気持ちよく抜けてゆきました。
録音した音源を聴き返してみると、そこにはさっきまでの自信なげな私はいませんでした。音程が少し揺れてしまうところがあっても、なんだかすごく楽しそうで、聴いているだけでウキウキしてくるような声。目に見えない歌声にも、表情はしっかりと宿るのだという大発見です。忘れないように、スマートフォンのメモ帳に今日の気づきをフリック入力で打ち込みました。
- 口角をしっかり上げて、ほっぺたの筋肉を使いながら歌うこと
- 目線を少し上に向けて、声を遠くへ飛ばすイメージを持つこと
- 難しいフレーズこそ、思い切り楽しそうな表情を作って乗り切ること
これからは、ダンスのステップを踏むときだけでなく、マイクを握るときも絶対に笑顔を忘れないようにしよう。そう決心すると、なんだか無敵になったような気がして、続けて何曲も何曲も、思い切り笑顔で歌い続けました。
弾ける炭酸の音と、夏の日差しに向かう足取り
2時間みっちりと歌い込んで、喉には心地よい疲労感が残りました。休憩に頼んだのは、氷がたっぷりと入った色鮮やかなメロンソーダ。グラスの底から湧き上がる炭酸の泡が、シュワシュワと弾ける音が耳元で心地よく響きます。冷たいストローに口をつけると、甘くて爽やかな風味が乾いた喉を潤してゆき、身体の隅々までエネルギーがチャージされていくのを感じました。この炭酸の音も、グラスに当たる氷の音も、今日はなんだかすべてが楽しい音楽のように聞こえてきます。
荷物をまとめてカラオケ店を出ると、7月の強い日差しとアスファルトの熱気が一気に押し寄せてきました。冷え切っていた身体が、真夏の空気にあっという間に包み込まれます。眩しさに目を細めながらも、私の足取りは羽が生えたように軽く、弾んでいました。手元に残るマイクの重みの記憶と、今日見つけた「笑顔の声」。早くこの声で新しい曲をカバーして、応援してくれるみんなに届けたい。そんなウズウズとした前向きな気持ちを抱えながら、青空の下を元気いっぱいに歩き出しました。
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