この記事の要約
駅の長い階段を登っているとき、無意識に「8カウント」でリズムをとっている自分の癖に気がつきました。音楽がなくても、歩幅や日常の動きに自然とダンスのステップが混ざってしまう毎日。雪道で転ばないように歩いていた地元の頃の記憶と比べながら、毎日続けてきた練習が私の中に確かなリズムを作ってくれていることに気づけた、ちょっと嬉しい一日の記録です。
階段の途中で気づいた、足元の8カウント
今日、夕暮れ時の人がまばらになった駅で、長い長い階段を登りきったちょうどその瞬間のことでした。一日中動き回って少し足が重いはずなのに、なぜか階段を登る足取りだけは妙に軽くて。息を切らしながら最後の一段を踏みしめたとき、ふと自分の頭の中で「ファイブ、シックス、セブン、エイト!」と、やけに元気でハキハキとしたカウントの声が響いていることに気がついたんです。耳には何も着けていないし、周りのスピーカーから流行りの音楽が流れていたわけでもありません。ただの静かな駅のコンコースに続く階段なのに、どうやら私、無意識のうちに一段登るごとに、ダンスの8カウントでバッチリとリズムをとっていたみたいなんです。

ハッと立ち止まって、今日一日の自分の行動をゆっくりと振り返ってみると、階段だけじゃありませんでした。横断歩道の白い線を渡るときは、黒いアスファルトを踏まないように無意識にステップの幅を調整して、まるでフロアを移動するような滑らかなリズムに乗っています。喉が渇いて自動販売機でジュースのボタンを押すときも、ただ押すだけじゃなくて、謎のタイミングで「タンッ、タンッ」とビートを刻みながら指先を弾ませていました。極めつけは、お部屋のドアを開けるとき。ドアノブに手をかけて回す動きすら、流れるような振り付けの一部みたいにカウントに合わせてしまっている自分に気がつきました。
誰かに見せるわけでもないのに、日常のちょっとした動作が全部、頭の中のメトロノームに合わせてダンスのステップに変換されている。そんな自分の無意識の癖に気づいて、なんだかおかしくなってしまい、駅のホームで一人でふふっと笑ってしまいました。周りの急ぎ足で歩く人たちから見たら、ただ階段を登りきってニヤニヤしている不思議な人だったかもしれませんが、自分の中にずっと潜んでいた奇妙な法則を偶然発見したようで、少しだけワクワクしてしまったんです。まるで、自分だけが知っている秘密の暗号に気づいたみたいな気分でした。
リズムの裏側に隠れていた、無意識の反復練習
この「生活のすべてが8カウントになる病」は、きっと毎日の習慣が長い時間をかけて作り出したものなんだと思います。私はいつも朝5時に起きて、まだ外が薄暗いうちから鏡の前でみっちり練習をするのを日課にしています。でも、どうやら私の体は、鏡の前から離れて日常に戻ったあとも、ずっとこっそりと練習を続けていたみたいです。
たとえば、スーパーで夕飯の材料を買いながら買い物カートを押しているとき。周りからはただまっすぐ歩いているように見せかけて、実はこっそり肩のアイソレーションの練習をしていたりします。カートの持ち手にかかる力を均等にしながら、肩甲骨だけを滑らかに動かすという、とっても地味な特訓です。電車を待つ列に並んでいるときも、つま先の中でこっそり重心移動の確認をしてしまったり、つり革につかまりながら体幹のバランスをチェックしたり。意識して「さあ、今から練習しよう!」と思っているわけではなくて、体が勝手にリズムを求めて、自然と動いてしまうんです。
誰かに「もっと練習しなさい」「四六時中ダンスのことを考えなさい」と言われたわけでもないのに、ただひたすらに好きで続けてきたことが、いつの間にか私の「普通」にすり替わっている。その事実が、なんだかとても誇らしく思えました。努力をして頑張っているという感覚すら通り越して、息をするのと同じくらい自然に、私の体はいつもステージの上に立つことを夢見ているんだなと実感できたからです。無意識の癖って、自分が本当に心から望んでいることを、嘘偽りなく教えてくれるものなのかもしれません。
転ばないように歩いていた、冬の記憶
でも、この軽快なカウントの癖って、いったいいつから私の中に生まれたんだろう?と、夕暮れの帰り道を歩きながら少し考えてみました。少なくとも、地元にいた頃はこんな風に弾むようなリズムを刻んで歩くことは少なかった気がします。なにしろ、地元の冬の道はツルツルに凍っていて、油断するとすぐにすってんころりんと派手に転んでしまうからです。

マフラーに顔を半分埋めて、まつ毛を白く凍らせながら歩いたあの道。街灯に照らされてキラキラ光る雪はとても綺麗だったけれど、歩くのには本当に苦労しました。あの頃の私は「ワン、ツー」と軽やかにステップを踏むどころではなく、「ギュッ、ギュッ」と靴の裏で氷の感触を確かめるように、一歩ずつ確実に前に進むことだけを考えていました。転ばないように下を向いて、手袋をした手をギュッと握りしめながら、冷たい風に肩をすくめて重たい足取りで歩いていた冬の帰り道。そこには、8カウントの華やかなリズムなんて入る隙間はありませんでした。ただ、目の前の氷をどう攻略して家まで無事に帰り着くか、それだけで頭がいっぱいだったんです。
ただ、あの氷の上でバランスを崩さないように体幹に力を入れ、足の裏全体で地面をしっかりと捉えようとしていたあの慎重な歩き方が、実は今のダンスの土台になっているのかもしれないと、ふと思ったんです。あの時の必死で雪まみれの一歩一歩があったからこそ、重心の置き方や足の指先への力の入れ方が自然と身についたのかもしれません。今はこんなに前を向いて、軽やかに、そしてブレることなくステップを踏めるようになったのも、あの重たい冬の道のおかげ。そう思うと、あの厳しい寒さの中を下を向いて歩いた記憶すら、私を作ってくれた大切な一部として、とても愛おしく感じられました。
無音の中でも止まらない、私だけのリズム
今はもう、雪のない平らな道を歩いています。周りがどれだけ静かでも、私の中にはずっと、決して止まることのないリズムが流れ続けているんだなって、今日改めて実感することができました。それはきっと、何度も何度も繰り返してきた朝の練習と、ずっと胸に抱き続けている大きな夢が、私の体の一番深いところにしっかりと根付いている証拠なんだと思います。
ふと空を見上げると、夕闇の中に一番星がぽつんと光っていました。その星の瞬きさえも、私の中では8カウントのビートに合わせてチカチカと光っているように見えます。もちろん、誰かの優しい言葉や、外側で起こる素敵な出来事に背中を押してもらって頑張れる日もたくさんあります。でも、今日みたいに、自分の中にある確かなエンジンに気づけた日は、なんだかすごく特別でラッキーな気分になれるんです。誰かが音楽をかけてくれなくても、自分でいつでもスタートのカウントを出せる。「ワン、ツー、スリー、フォー」と心の中で刻むたびに、自然と背筋が伸びて、とびきりの笑顔になれる気がします。
明日の朝も、きっと私は5時に起きて鏡の前に立つでしょう。そして、練習を終えて街に出たあとも、階段を登るときや、ドアを開けるとき、無意識のうちにカウントを刻んでしまうはずです。でも、それが私という人間のリズムなのだから、それでいい。どんなに静かな場所でも、私の中にはいつも最高のステージが広がっている。明日もまた、この私だけのリズムと一緒に、元気いっぱいに前へ進んでいこうと思います!
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