この記事の要約
専門店でふと惹かれて購入した、スモーキーな香りが特徴の紅茶「ラプサンスーチョン」を淹れてみた日の日記です。強烈な個性を放つ味わいに、すぐには「好き」とも「嫌い」とも判断できない宙ぶらりんな感覚を抱きました。白黒はっきりさせようと急いでいた過去の自分を振り返りつつ、結論を保留にしたまま、ゆっくりと変わっていく風味を楽しむ心地よさについて綴っています。
ティーポットを染める、予期せぬ焚き火の匂い
休日の午後、少し前に立ち寄った茶葉の専門店で、ふとした好奇心から買い求めた小さな包みを開封した。いつもなら、ダージリンのファーストフラッシュや、ミルクによく合うアッサムなど、飲み慣れた安心できる茶葉ばかりを選んでしまう。しかしその日はなぜか、棚の隅にひっそりと置かれていた「ラプサンスーチョン」という見慣れない文字に惹きつけられたのだ。店主が「これはとても個性的で、好き嫌いがはっきり分かれるお茶なんですよ」と少し申し訳なさそうに、けれどどこか嬉しそうに教えてくれたことも、かえって私の背中を押したのかもしれない。

松の薪で燻製にしたというその茶葉は、黒っぽく乾燥していて、封を切った瞬間から強烈な個性を放っていた。まるで、古い木造の山小屋に足を踏み入れたかのような、あるいは冬の夜に焚き火を囲んでいるかのような、重くてスモーキーな香りが鼻腔をくすぐる。ガラスのティーポットを温め、その黒い茶葉をそっと落とす。沸きたてのお湯を注いだ瞬間、香りはさらに輪郭を濃くして部屋の空気を塗り替えていった。少し薬効を感じさせるような、どこかひどく懐かしいような、それでいて明らかに異質な匂い。ストレーナーを通してお気に入りの白いカップに注ぐと、水色は思いのほか明るく澄んだ赤褐色をしている。それなのに、水面から立ち昇る湯気はやはり力強い燻製の香りをまとっていて、視覚と嗅覚のギャップに少しだけ戸惑った。自分の部屋のいつものテーブルが、急に知らない異国の喫茶店に変わってしまったような、不思議な感覚に包まれる。
好きか嫌いか、すぐには名前をつけられない味わい
少しだけ冷めるのを待って、カップの縁に口をつける。舌の上に広がったのは、香りの強さから想像していたような強い渋みではなく、意外なほどすっきりとした口当たりだった。しかし、飲み込んだあとに鼻へ抜ける香気は、やはり強烈だ。美味しいのだろうか、そうではないのだろうか。普段なら一口飲めば「これはリラックスしたい夜にぴったりだ」とか「少し渋みが強いからミルクを足そう」とすぐに感想が浮かぶはずなのに、今日は思考がピタリと止まってしまった。舌の奥で転がすように味わうと、まるで熟成された古いウイスキーのような深みもある。紅茶でありながら、紅茶の枠をはみ出しているような奔放さ。
もう一口、ゆっくりと味わってみる。燻された木の香りの奥底に、ほんの少しだけドライフルーツのような甘みが隠れているような気もする。幼い頃に過ごした雪深い故郷で、近所のおじいさんが燃やしていた落ち葉焚きの煙。そんな遠い記憶の断片がフラッシュバックするような、複雑な味わい。けれど、それが私の好みに合っているのかと問われると、どうしても首を傾げてしまう。嫌悪感はない。でも、手放しで好きだとも言い切れない。口の中に残る複雑な風味を反芻しながら、私はこの「どちらでもない」という宙ぶらりんな状態を、どこか新鮮に感じていた。すぐに名前をつけられない感覚を味わうこと自体が、今の私にはとても珍しい体験だったからだ。
結論を急がず、違和感をそのままテーブルに置いておく
かつての私なら、このはっきりしない状態をひどく居心地悪く感じていたかもしれない。医療の現場で働いていた頃は、あらゆる物事に対して素早く正確な判断を下すことが求められていた。白か黒か、正しいか間違っているか、安全か危険か。その癖は日常の細部にまで染み付いていて、新しいものを試すときも「自分に合うか、合わないか」を即座に分類して、安心しようとしていた時期があった。正解を出すことばかりに急いでいた頃は、本を読むときも「結局どういうことだったのか」という結論ばかりを探していたし、休日の過ごし方も「リフレッシュできたかどうか」で採点していたような気がする。白黒つかない曖昧なものは、無意識のうちに遠ざけていたように思う。

けれど、今は違う。目の前にある得体の知れない味わいを、強引に「好き」か「嫌い」の箱へ押し込む必要なんてないのだと、自然に思えるようになっている。違和感があるなら、その違和感をただテーブルの上に置いて、しばらく眺めてみればいい。すぐに言語化できない感情や感覚の中にこそ、まだ知らない自分の扉を開く鍵が隠れていることもある。そんなふうに考えられるようになったのは、心理カウンセラーとして多くの人の迷いや戸惑いに触れ、私自身もまた、ゆっくりと変化してきたからだろう。人の心もまた、すぐには白黒つけられない曖昧なグラデーションの中で揺れ動いているものだから。
冷めたあとに残った、かすかな甘い余韻
カップの中の紅茶がすっかりぬるくなるまで、私は読みかけの小説のページをめくりながら、少しずつその黒い液体を口に運んだ。不思議なもので、温度が下がるにつれて、最初に感じた強烈なスモーク香は少しずつ角が取れ、代わりに茶葉そのものが持つ円みのある甘さが顔を出し始めた。熱々のときには気づけなかった、控えめで優しい味わい。窓の外では少しずつ日が傾き、部屋の中の陰影が濃くなっていく。その静かな時間の流れの中で、紅茶の味もまた、私の中でゆっくりと変化していった。
結局、カップが空になっても、このお茶が私のお気に入りリストに入るかどうかは決まらなかった。でも、それでいいのだと思う。ポットにはまだ半分ほどお茶が残っている。明日の朝、もう一度火を入れて温め直してみようか。それとも、ミルクをたっぷりと注いで、まったく違う表情を引き出してみようか。好きか嫌いか、すぐに答えを出さなくてもいい。結論を急がず、この小さな保留の時間を楽しむこと。それが今の私にとって、何よりの贅沢なのかもしれない。
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