この記事の要約
八月最初の朝、日差しが強くなる前に散歩へ出たときのこと。ふと足元を見ると、アスファルトに落ちた電柱や建物の影だけを選んで、不自然な歩幅で歩いている自分に気がつきました。それは単なる暑さ対策ではなく、かつて医療の現場で無意識に安全な場所ばかりを探していた頃の癖のようでした。日向に踏み出し、足裏に伝わる夏の熱を感じながら、自分の小さな癖を少しだけ手放してみた静かな朝の出来事です。
電柱の影を繋ぐ不自然な歩幅
八月に入ったばかりの朝六時。すでに空気はぬるく、遠くの木立から気の早い蝉の鳴き声がかすかに届いてきます。本格的な暑さが街を覆い尽くす前に少しでも体を動かしておこうと、いつもの散歩道へ足を踏み出しました。日焼けを防ぐためのつばの広い帽子を深くかぶり、首元には薄手のストールを巻いて、できるだけ涼しい空気を胸いっぱいに吸い込みます。歩き慣れた千葉の住宅街はまだ静まり返っており、時折すれ違う新聞配達のバイクの乾いたエンジン音が、朝の静寂を際立たせていました。玄関を出た瞬間から肌にまとわりつくような湿気を感じながらも、植物たちが放つ青々とした香りが、一日の始まりを優しく告げてくれます。

そんな心地よい時間の中を歩きながら、私はふと、自分の足元に奇妙な違和感を覚えました。歩幅が、なんだかいつもより窮屈なのです。本来ならもっとのびのびと腕を振って歩けるはずなのに、なぜか足元ばかりを気にして、こぢんまりとした動きになっています。立ち止まって視線を落とすと、その理由がすぐに分かりました。私は無意識のうちに、アスファルトの上に落ちている濃いグレーの影だけを選んで歩いていたのです。電柱が落とす細長い線、ブロック塀が作る四角い暗がり、街路樹の葉が織りなす複雑なまだら模様。それらの影をまるで海に浮かぶ小さな島々に見立てて、そこから決してはみ出さないように、歩幅を広げたり狭めたりして慎重に調整していました。
子供の頃に夢中になったケンケンパのような、どこか滑稽で、それでいてひどく必死な歩き方。涼しい場所を選びたいという本能が働いたのかもしれませんが、それにしても不自然なほど、私の足は日向を避けていました。影から影へと飛び移るように歩く自分の姿を客観的に想像し、少し恥ずかしくなって足を止めました。振り返ってみると、私が歩いてきた軌跡は、まっすぐな道であるにもかかわらず、ジグザグに曲がりくねっています。最短距離で進めばもっと楽に歩けるはずなのに、わざわざ遠回りをしてまで、暗い部分を縫うように進んでいたのです。その不器用な足跡は、まるで私が心の中に抱えている何かをそのまま映し出しているようでした。
無意識に引いていた見えない安全線
なぜこんなにも頑なに影を選んでしまうのだろうと、道端に立って深く考えを巡らせました。確かに夏の朝日は力強く、肌を刺すような熱を持っています。しかし、それ以上に、私の心の中に「目立たない場所、安全で確実な場所を選びたい」という無意識の癖が潜んでいるような気がしたのです。影の中にいれば、強い光に晒されることはありません。誰の目にも留まらず、ひっそりと息を潜めていられる。トラブルに巻き込まれることもなく、平穏無事にやり過ごすことができる。そんな見えない安全線を、自分自身で引いてしまっていたのかもしれません。

その感覚は、かつて医療の現場で働いていた頃の記憶と重なりました。白く無機質な蛍光灯の下、影の存在しない明るすぎる廊下を駆け回っていた日々。そこでは、ほんのわずかな見落としも許されず、常に張り詰めた空気が漂っていました。私は失敗を避けるために、先輩たちの後ろに隠れるようにして、最も確実で安全な手順だけをなぞろうと必死でした。石橋を叩いて渡るどころか、叩きすぎてひびを入れてしまうのではないかと思うほど、あらゆるリスクを恐れ、自分の判断に自信を持てずにいました。あの頃の私は、心の中で常に「安全な日陰」を探し求め、そこから一歩も出ないように自分を縛り付けていたのだと思います。
今はこうしてカウンセラーとして活動し、千葉の穏やかな環境で自分自身のペースを取り戻したはずでした。休日にガーデニングで土の感触を味わい、朝のヨガで深い呼吸を繰り返すうちに、心にまとわりついていた過剰な緊張感は少しずつ解けていったように感じていました。しかし、体や心のずっと深い部分には、長年培ってきた「安全線を引く癖」が、まだこうして色濃く染み付いているのです。のんびりとした朝の散歩という、誰にも評価されない自由な時間の中でさえ、自ら窮屈なルールを作り出し、それに従おうとしてしまう。そんな自分自身の根深い不器用さに気づき、私は小さく息を吐き出しました。
日向の熱と、少しだけ緩んだ歩幅
再び前を向いて歩き始めると、目の前に広い交差点が現れました。そこには電柱も街路樹もなく、影の逃げ場は一切ありません。信号が青に変わり、白い横断歩道が朝日を浴びてまぶしく輝いています。影を繋ぐ遊びは、どうやらここで終わりのようです。私は少しだけ躊躇した後、意を決して日向へと一歩を踏み出しました。影という安全地帯から抜け出すことに、ほんの少しの勇気が必要でしたが、いつまでも立ち止まっているわけにはいきません。
白い線の上に足を乗せた瞬間、スニーカーの底越しに、アスファルトが蓄え始めた夏の熱がじんわりと伝わってきました。頭上から降り注ぐ太陽の光は確かに強いけれど、それは決して私を責め立てるようなものではありませんでした。むしろ、冷え切っていた心の奥底を優しく温め、強ばっていた筋肉をほぐしてくれるような、不思議な包容力を持っていたのです。眩しさに目を細めながら交差点の真ん中を歩いていると、影の中に隠れていなくても、私は十分に守られているのだという感覚が静かに芽生えてきました。光の中を歩くことは、決して怖いことではなかったのです。
交差点を渡りきった後、私はもう足元の影を探すのをやめました。まっすぐな道に対して、自分本来の自然な歩幅で歩を進めます。日差しを遮るものがない場所では、光の明るさも、頬を撫でる風の感覚も、影の中にいた時よりずっと鮮明に感じられました。時には強い光を浴びて、少し汗をかきながら進むのも、夏の醍醐味の一つなのかもしれません。自分の内側に潜んでいた小さな癖を知り、それを無理に直そうと否定するのではなく、ただそっと手放してみる。そんな風にして少しだけ歩幅が緩み、前よりもほんの少しだけ世界が広く見えたような気がした、八月最初の朝の散歩道でした。
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