この記事の要約
クラウドストレージの整理中、高校時代に夢中になった古いインディーゲームを久しぶりに起動しました。今のデザイナーの視点で見ると不親切なUIばかりなのに、当時はその手探り感がたまらなく好きだったことを思い出します。効率よく導くことの正しさと、あえて迷う余白を残すことの面白さについて考えた、夏の夜の出来事です。
階層の奥底で再会した、ドット絵の入り口
夏の夜、少しだけ涼しい風が窓から入り込んできた頃。僕はローカル環境とクラウドストレージの同期設定を見直しながら、溜まりに溜まった古いフォルダ群の整理をしていました。「バックアップ_2016」なんていう、今見ると少し気恥ずかしくなるような名前のフォルダを開いていくと、そこには高校時代に夢中になって遊んでいた海外のインディーゲームの実行ファイルがぽつんと残されていたんだ。当時は文化祭のWebサイト制作にのめり込んでいて、コードを書く息抜きとしてこのゲームに没頭していたのを思い出します。

当時はまだ英語もよくわからなくて、ただ画面の薄暗い雰囲気に惹かれてダウンロードした記憶があります。ふと思い立って、互換モードでそのゲームを起動してみました。画面の解像度が急に切り替わり、モニターの中央に小さなウィンドウが現れる。粗いドット絵で描かれたタイトルロゴと、チープだけれどどこか哀愁のあるシンセサイザーのメロディが流れてきた瞬間、当時の実家の自室の空気まで一緒に蘇ってくるような気がしました。
スタート画面にあるのは、「New Game」と「Load」の二つの文字だけ。物語の壮大な説明も、操作方法を教えてくれる親切なチュートリアルも一切ありません。ただ唐突に、見知らぬ暗い森の中に放り出されるところから始まります。今なら「オンボーディングが不足している」なんて分析してしまうような突き放された始まり方だけれど、あの頃の僕は、この冷たさにこそ、誰にも内緒の秘密の扉を開けてしまったようなワクワク感を感じていたんだよね。
セオリーを無視した不親切さと、手探りの熱量
久しぶりにキャラクターを動かしてみると、今の僕の目には、そのゲームがいかに「不親切」に作られているかがはっきりと見えてきました。アイテムを拾っても何に使うのかわからないし、ステータス画面を開いても抽象的なアイコンが並ぶだけで意味が直感的に伝わってこない。次にどこへ行けばいいのかを示すマーカーなんて当然なくて、ただひたすら同じような景色が続く森の中を彷徨うことになります。
UX/UIデザイナーとして仕事をしている今の僕なら、間違いなく修正の赤字を入れる箇所ばかりです。「ユーザーが迷わないように、アイテムの用途はツールチップで補足しよう」「現在地がわかるようにミニマップを配置すべきだ」と、頭の中で勝手にFigmaの画面を開いて改善案を組み立ててしまう。でも不思議なことに、プレイを進めるうちに、その不便さこそがこのゲームの核だったんじゃないかと思えてきたんだ。
何も説明されないからこそ、落ちているアイテムを一つずつ手当たり次第に試してみるしかない。迷いながら何度も同じ道を行き来するうちに、森の複雑な地形が少しずつ自分の頭の中にマッピングされていく。その手探りの過程には、用意された安全な道を歩くのとは違う、自分だけの発見がありました。不親切なUIが、結果としてプレイヤーの観察力や想像力を極限まで引き出していたんだね。当時の僕が時間を忘れてのめり込んだのは、この「分からなさ」と格闘する熱量そのものだったのかもしれません。
最短距離を引く仕事と、あえて迷わせる豊かさについて
普段の仕事で、僕はクライアントやエンジニアと対話を重ねながら、どうすればユーザーが最短距離で目的を達成できるかを常に考えています。ECサイトでの購入フローであれ、業務システムの入力画面であれ、迷いやつまずきは「取り除くべき摩擦」として扱うのが基本です。大学時代のインターンで、僕がかっこいいと思って作ったUIがユーザーテストで全く機能せず、誰にもボタンだと認識されなかった苦い経験があるからこそ、僕は「使う人のために、徹底的にわかりやすくする」という姿勢を何よりも大切にしてきました。

それは絶対に正しいアプローチだし、これからも変わらない僕の信条です。日常の買い物や仕事のツールで迷路に迷い込みたい人なんていないからね。でも、この古いゲームを遊んでいると、効率化の波の中で僕たちが無意識に削ぎ落としているものについて、少しだけ立ち止まって考えてみたくなります。迷うこと、遠回りをすること、分からないものを分からないまま抱えて進むこと。それらは決して無駄な時間ではなく、体験の密度を濃くするための大切な「余白」になり得るんじゃないかな。
もちろん、どんなサービスでも迷わせればいいというわけではありません。生活を支える道具と、没入感を楽しむエンターテインメントでは、求められる役割が全く違います。ただ、僕がデザインをする時、すべてを説明し尽くして完璧にコントロールしようとするあまり、ユーザー自身が何かを発見する喜びまで奪っていないだろうか。そんな自問自答が、暗い森を彷徨うドット絵のキャラクターを眺めながら、ゆっくりと湧き上がってきました。
過去の視点と今の視点が重なり合う夜
一時間ほどプレイしたところで、僕はそっとゲームのウィンドウを閉じました。昔のように徹夜でクリアを目指すような体力はもうないし、明日も朝からクライアントとの打ち合わせが控えています。でも、久しぶりに触れたあの不親切で魅力的な場所は、今の僕にとても心地よい刺激を与えてくれました。
高校時代の僕は、ただ純粋に手探りの冒険を楽しんでいました。そして今の僕は、その冒険がいかにして作られていたのかを、デザインの視点から紐解くことができる。昔好きだったものを今の視点で見直すことで、失われた純粋さを嘆くのではなく、違った角度からその魅力を味わい直せたような気がします。視点が変わっても、良いものに触れた時の胸の奥が少し熱くなる感覚は、実家の自室でモニターを睨んでいたあの頃と何も変わっていませんでした。
画面を閉じた後のデスクトップには、いつも通り、整然と並んだ仕事用のファイルたちが待っています。明日からはまた、誰かの迷いを取り除くためのデザインに向き合う日々が始まります。でも、完璧な動線を引こうとするその手元に、ほんの少しだけ「想像する余地」を残すことができたら。そんな小さな目標を胸に秘めながら、僕はゆっくりとパソコンの電源を落としました。
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