この記事の要約

7月29日の夜。ひとつのプロジェクトが区切りを迎え、壁一面に貼られた色とりどりの付箋を剥がしていく時間。それは誰にも見せない、僕だけの静かな片付けの儀式です。採用されなかったユーザーの迷いや戸惑いの声を、そのまま捨てるのが忍びなくてノートの裏表紙にこっそり貼り直す。効率化から少しだけはみ出したそんな小さな習慣が、僕の視点を優しく整えてくれるというお話です。

役割を終えた色とりどりの四角形

7月29日の夜。窓の外から聞こえていた車の走行音もまばらになり、部屋の中にはエアコンの微かな風の音だけが規則正しく響いている。今の僕の目の前にあるのは、壁一面にびっしりと貼られた色とりどりの付箋たち。ひとつの大きなプロジェクトがようやく形になり、無事にクライアントの元へ送り出された今日、この色鮮やかな四角形たちはその役割を静かに終えようとしているんだ。数週間、僕の思考を支え続けてくれた彼らにお疲れ様と声をかけるような気持ちで、一枚ずつ剥がしていく作業に取り掛かる。

ゆうと本人と「役割を終えた付箋たちと、ノートの裏表紙に残す小さな声」の内容を表すブログ挿絵
ゆうと本人の雰囲気と記事の情景

黄色、青、ピンク、そして緑。色分けされた付箋たちには、ユーザーインタビューで拾い集めた小さな声や、ブレインストーミングで飛び交ったアイデアの断片が、太字のサインペンで書き殴られている。長い間壁に張り付いていた彼らは、端の方が少しだけ丸まり、粘着力もすっかり弱くなっているみたいだ。指先でそっとつまんでペリッと剥がす。その乾いた小さな音を聞くたびに、頭の中に複雑に絡まっていた思考の糸が、ひとつずつ解けていくような心地よい感覚がある。

すべてをデジタルツール上で完結させてしまえば、こんな物理的な片付けの時間は必要ないのはわかっているんだ。デザインツールの無限に広がるキャンバスなら、どんなに付箋を並べても部屋が散らかることはないし、検索すれば一瞬で目当ての言葉が見つかるからね。でも、僕はどうしてもこのアナログな作業を手放せないでいる。手書きの文字の大きさや、勢い余ってかすれたインクの跡には、その瞬間の熱量や迷いがそのまま保存されているような気がしてならないんだ。モニターの中の均一なフォントからは抜け落ちてしまう、人間の生々しい感情の揺らぎみたいなものが、この小さな紙切れには宿っている気がするから。

採用されなかった声が持つ手触り

壁から剥がした付箋を、手のひらの上でいくつかの束に分けていく。これは最終的なデザインに採用されたアイデア、これは今後のフェーズで参考にするために留めたもの、そしてこれは……今回のプロジェクトでは見送られた声たち。ゴミ箱へ向かう前に仕分けをしながら、つい一つ一つの文字をじっくりと目で追ってしまうのは、僕の悪い癖かもしれないね。効率よく片付ければ5分で終わる作業なのに、気づけば30分以上も壁の前に立ち尽くしていることがある。

見送られた付箋の中には、「この画面にいくと不安になる」「ボタンの意味が全くわからない」といった、作り手としては耳の痛い意見も混ざっている。全体の方針やターゲット層から外れているという理由で、最終的なデザインには反映されなかった声だ。プロジェクトを前に進めるためには、どこかで線を引く必要がある。論理的に考えれば、切り捨てるのが正しい判断だったと思う。でも、その言葉の裏側にある「迷い」や「戸惑い」の手触りに触れると、どうしても胸の奥が少しだけチクリとするんだ。

ふと、学生時代のインターン先での苦い記憶が蘇る。あの頃の僕は、自分が美しいと信じる洗練されたデザインを作ることばかりに夢中で、使う人の視点がすっぽりと抜け落ちていた。自信満々で臨んだユーザーテストで、僕の作った画面を前に操作の手を止めてしまったモニターの方の困惑した顔。どこを押せばいいのかわからず、申し訳なさそうにマウスを握る手。あの時の惨敗感が、今の僕の原点になっている。だからこそ、どんなに極端な意見であっても、誰かが感じた使いにくいというリアルなつまずきを、簡単にはなかったことにしたくないのかもしれない。

ノートの裏表紙に作る、僕だけの小さなアーカイブ

両親から受け継いだものがあるとすれば、グラフィックデザイナーの父のような美しいものを作る目と、小学校の教師だった母のような人の声を聴く耳だと思っている。僕の仕事は、クライアントの要望とエンジニアの技術、そしてユーザーの感情の間で、そのふたつのバランスを取る翻訳者のようなものだから。だから僕は、要件から外れてしまった付箋たちを、そのまま無造作に丸めてゴミ箱に放り込むことがどうしてもできないんだ。

ゆうと本人と「役割を終えた付箋たちと、ノートの裏表紙に残す小さな声」の内容を表すブログ挿絵
ゆうとが記事の中心的な場面を振り返る一枚

そこで僕がいつもやっているのが、誰にも見せない秘密の片付け。手元にある使い古したノートの裏表紙を開いて、見送られた付箋の中からいくつかを選び出し、こっそりと貼り直すんだ。粘着力が弱くて剥がれそうなものは、上からメンディングテープで丁寧に補強してあげる。「文字が小さくて読めない」「もっとワクワクする仕掛けがほしい」——そんな不器用で正直な言葉たちを、僕だけのささやかなアーカイブとして残しておく。誰かに見せるためのものではない、言うなれば僕だけの声の避難所みたいな場所かな。

これは完全に僕個人の儀式のようなもので、誰かに褒められるわけでも、仕事の効率が劇的に上がるわけでもない。でも、こうして行き場を失った声を拾い上げておくことで、僕自身の視点が少しだけ優しくなれる気がするんだよね。いつか別のプロジェクトで壁にぶつかった時、このノートの裏表紙に集まった声たちが、思いがけないヒントをくれることだってある。一見すると無駄に見える余白や、切り捨てられそうになったノイズの中にこそ、本当に大切なものが隠れているんじゃないかな。

空白になった壁が連れてくる明日の風

最後の1枚、少し色褪せたピンク色の付箋を剥がし終えると、壁は元の無機質な白い表情を取り戻した。数週間ぶりに見るその空白は、部屋を少しだけ広く、そして静かに感じさせる。色とりどりのノイズが消えた空間で大きく深呼吸をすると、新しい空気が肺の奥まで澄み渡っていくのがわかる。ひとつの旅が終わって、またゼロに戻ってきたんだという実感が、じわじわと湧き上がってくる瞬間だ。

表舞台に出ることはない、この深夜の片付けの時間。誰にも見せない準備や後始末の中にこそ、その人らしさや仕事への温度感が宿るのかもしれないね。綺麗に整えられた成果物の裏側には、こうしてノートの裏表紙にひっそりと眠る無数の声がある。それを知っているのは僕だけでいい。目に見える完成品だけじゃなく、そこに至るまでの迷いや葛藤のプロセスも含めて、僕はデザインという仕事が好きなんだと改めて思う。

少しだけ分厚くなったノートを本棚に戻し、冷めかけたマグカップの底に残ったお茶を飲み干す。明日からはまた、この真っ白な壁に新しい問いを貼り付けていくことになる。どんな色の付箋が、どんな言葉を連れてきてくれるのか、今はまだわからないけれど。その前に、今夜はもう少しだけ、この何もない空間の心地よさに浸っていようかな。窓を少しだけ開けると、夏の夜の湿った風が、僕の頬を優しく撫でていった。

ゆうと

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ゆうと

ユーモアを持ちながらクールな面ももつキャラクター。優しい性格で、共感力が高い。

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