この記事の要約
机の上に広げたままの、未完成のレモンバームのスケッチから考えたことを綴ります。かつてはすべての作業を完璧に終わらせなければ気が済まなかった私ですが、今は輪郭線だけが描かれた途中の状態に、特有の柔らかさや心地よさを感じるようになりました。強引に結論を出さず、白紙の部分を残しておくことで生まれる明日への希望や、迷いを許容する優しさへと思いを巡らせた朝の記録です。
朝の光を吸い込むスケッチブックのざらつき
八月も下旬を迎え、朝の空気がほんの少しだけ秋の気配を帯びてきました。新潟の雪深い実家では、お盆を過ぎると一気に涼しさが増したものですが、千葉の朝はまだ夏の熱をじんわりと残しています。それでも、窓から差し込む光の角度は確実に変化しており、机の上に広げたままのスケッチブックを斜めから照らしていました。

ざらざらとした画用紙の表面が微細な影を作り、そこに描かれた未完成の絵をふんわりと浮き上がらせています。指先でそっと撫でてみると、上質な紙特有の微かな抵抗感が伝わってきました。それは、まだ何も描かれていない部分が持つ、無限の可能性に触れているような心地よさです。
数日前から、庭で育てているレモンバームの葉を色鉛筆で描き写しています。毎日少しずつ、気が向いた時だけ筆を執るため、まだ全体像は見えてきません。机の片隅には、削りかけの緑色や黄色の色鉛筆が転がり、昨日の朝に飲んだ紅茶のカップも洗わずに置かれたままです。
普段ならすぐに片付けてしまうのですが、今の私にはこの雑然とした風景が、なぜかとても心地よく感じられました。風が吹き込むと、開かれたページがふわりと持ち上がり、かすかに紙の擦れる音が響きます。その音を聞きながら、私は椅子に深く腰掛け、まだ色の塗られていない葉の絵をじっと見つめました。
朝露に濡れた本物のレモンバームは、庭先で青々とした命を輝かせています。それをそのまま写し取るのではなく、私の目に映った印象だけを抽出していく作業。急いで完成させる必要のないこの営みは、日々の暮らしに小さな句読点を打ってくれるような気がします。
輪郭線だけで縁取られたレモンバームの葉
ページの中央には、緑色の線で縁取られただけの葉が何枚も並んでいます。葉脈の細かな模様まで丁寧に描き込んでいるものもあれば、ただ外側の形だけをなぞって終わっているものもあります。色を塗った部分はほんの一部だけで、白い紙の領域がまだ大きく残っていました。
かつての私なら、こうした「やりかけの作業」をそのまま放置しておくことはできませんでした。医療現場で働いていた頃は、すべての業務を完璧に終わらせ、完了の印をつけることが絶対のルールだったからです。処置の記録も、患者さんへの対応も、すべてをその日のうちに完結させなければならない。未完成のものは、すなわち「終わっていない仕事」であり、早く片付けなければならないという焦りを生む原因でしかありませんでした。
だからこそ、趣味の読書や料理でさえ、一度始めたら最後までやり遂げなければ気が済まない時期がありました。途中で投げ出すことは、自身への敗北のように感じていたのです。しかし、強引に最後までやり遂げたはずの作品を見ても、そこには達成感よりも疲労感しか残っていませんでした。
今、目の前にあるスケッチブックは、そうした過去の強迫観念から解き放たれた証拠のようです。輪郭線だけの葉っぱたちは、決して不完全なものではなく、その瞬間の私の状態を正直に記録した軌跡なのだと思えるようになりました。昨日は少し疲れていたから輪郭だけで終わらせた。今日は少し元気だから、葉脈まで描き込んでみよう。そんな風に、日々の感情の揺れ動きが、未完成の画面に刻まれていくのです。
緑色の色鉛筆が描いた線の太さや濃淡にも、その時々の筆圧が表れています。力が抜けてかすれた線や、少し迷って二重になった線。それらを眺めていると、当時の私の呼吸の深さまでが蘇ってくるようです。
完了のチェックマークを求めない心地よさ
心理カウンセラーとして活動し、こうして植物と向き合う暮らしを重ねるうちに、少しずつその感覚が変わってきました。白く残った画用紙の広がりは、決して急いで埋めなければならない欠落ではありません。むしろ、明日もまたこの絵の続きを描けるという、ささやかな楽しみの証拠のように感じられます。

色を塗らずに置いてある葉の輪郭を見つめていると、そこには完成品にはない特有の柔らかさがあることに気づきます。まだ何色にでもなれる可能性や、筆を止めた瞬間のわずかな迷い、そして「今日はここまでにしておこう」と決めた時の穏やかな呼吸が、そのまま紙の上に留まっているようです。
完璧に塗りつぶされた絵は、確かに美しいかもしれません。しかし、途中のままの絵には、描いている人の息遣いや、その日の気分が色濃く反映されています。それはまるで、長岡の実家で祖母が作ってくれた、形は不揃いだけれど温かい郷土料理のようです。見た目の美しさや完成度よりも、その過程にある思いや迷いこそが、本当に愛おしいものなのかもしれません。
私たちは日常を過ごす際、つい「結果」や「成果」ばかりを追い求めてしまいます。しかし、人生の大部分は「途中」の連続です。その途中の状態を愛せるようになれば、毎日はもっと豊かで穏やかなものになるはずです。未完成のスケッチブックは、そんな当たり前の事実を、声を持たずに教えてくれているようでした。
白紙の部分に触れるたび、これからどんな色を乗せようかと想像する楽しみが膨らみます。それは、まだ見ぬ明日への期待そのものなのかもしれません。
途中のまま置いておくことで生まれる明日への続き
ふと、祖母がよく「人の話を聞く時は、強引に結論を出そうとしなくていい」と教えてくれたことを思い出します。心に抱えた悩みも、すぐに解決策を見つけて終わらせる必要はないのかもしれません。途中の状態を許容し、白紙の部分をそのままにしておくこと。それは、相手の歩幅に合わせて一緒に立ち止まるような、優しい寄り添い方なのだと思います。
悩みや迷いを抱えている時、私たちはつい「早く答えを出さなければ」と焦ってしまいがちです。しかし、心が本当に求めているのは、完璧な解決策ではなく、迷っている今の状態をそのまま認めてもらうことなのかもしれません。未完成のままでもいい。途中で立ち止まってもいい。そうやって自身を許すことができた時、心は少しずつ本来の柔らかさを取り戻していくのでしょう。
色鉛筆を一本だけ取り出し、輪郭だけの葉に薄く黄緑色を乗せてみました。芯が紙に擦れる微かな音が、部屋の空気に溶けていきます。今日もまた、完成させるつもりはありません。途中のままのスケッチブックを机に残し、ゆっくりと朝の紅茶を淹れる準備を始めます。
お湯が沸く音を聞きながら、明日もまたこの絵の続きを描ける幸せを、胸の奥でそっと噛み締めました。未完成のまま置いてあるものは、決して放置されたものではなく、明日への希望を繋ぐ小さな架け橋なのだと、今の私にははっきりと分かります。焦らず、急がず、この途中のひとときを味わい尽くしたい。そんな思いが、朝の光とともに部屋全体を優しく包み込んでいきました。
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