この記事の要約
八月の終わりの朝、八百屋で見かけたルバーブという赤い茎を煮て、初めてのジャムを作りました。完成したそれは、想像よりもずっと酸っぱく、少しの土っぽさを残した不思議な味でした。好きか嫌いかすぐには判断できないその曖昧な感覚を味わいながら、日々の対話の中で出会う「すぐには解釈できない感情」を、そのまま受け止めることの大切さについて考えた朝のことです。
鍋の中で崩れる赤い茎と、予想外の野性的な香り
八月の終わりが近づく朝、少しだけ涼しい風を求めて早起きし、近所を散歩していたときのこと。立ち寄った八百屋の店先で、鮮やかな赤紫色の茎が束ねられているのを見かけました。店主の方に尋ねると、それはルバーブという植物だと教えてくれました。煮詰めるとジャムとして美味しく食べられると勧められ、見慣れないその姿に惹かれて、試しに一束買って帰ることにしました。新潟の雪深い地域で育った私にとって、春先に採れるフキの煮物はとても馴染み深い郷土の味です。ルバーブのすっと伸びた筋張った見た目は、そのフキによく似ていて、どこか遠い記憶を呼び起こすような懐かしさを覚えたことも、手に取った理由のひとつでした。土からまっすぐに水分を吸い上げたであろうその力強い姿に、植物としての逞しさを感じます。

帰宅してさっそく台所に立ち、土を洗い流してから、包丁でざくざくと一口大に刻んでほうろうの鍋へ移します。上からたっぷりの砂糖をまぶしてしばらく置いておくと、ルバーブからじわじわと透明な水分が滲み出てきました。とろ火にかけて木べらで混ぜ始めると、最初は筋張って硬かった繊維が、あっという間にほどけてトロトロに崩れていきます。火を通すことで赤紫色はさらに鮮やかさを増し、まるでルビーのような深い艶を帯びていく。その劇的な変化を鍋のそばで見守る過程は、とても心弾むひとときでした。
しかし、鍋から立ち昇る湯気を嗅いでみると、甘い香りというよりも、かすかに野性味のある青っぽさが漂ってきます。少し冷ましてからスプーンですくって味見をしてみると、口元がキュッとなるような鋭い酸味が舌を刺しました。いつものイチゴやリンゴの甘いジャムとはまったく違う、どこか土の気配を残した不思議な味わい。ストレートな「美味しい」という歓喜ではなく、「おや?」と首を傾げたくなるような、予想外の驚きがそこにはありました。
好きか嫌いか、振り分けないままテーブルに置く
こんがりと焼いた厚切りのトーストに、出来立てのルバーブジャムをたっぷりと乗せて味わってみることにしました。サクッとしたパンの食感とともに一口かじると、やはり鮮烈な酸味と独特の風味が口いっぱいに広がります。一緒に淹れたダージリンティーの渋みと交わると、さらに複雑で大人びた印象へと変わりました。これが私の好みに合っているのかどうか、すぐには断言できない迷いが生まれます。美味しいか美味しくないか、その二択で問われれば、答えに窮してしまうような複雑さです。
かといって、遠ざけたいわけではありません。なんだかよくわからないけれど、もう一口だけ確かめてみたくなる。そんな宙吊りの感覚を抱えたまま、ゆっくりと朝食を進めました。私たちは普段、初めて口にするものに対して、瞬時に好きか嫌いかを振り分けようとする癖を持っています。美味しいものはすぐにリピートし、合わないものは次から選ばない。そうやって効率よく自分の好みを確立していくのは便利ですが、今日のように「まだどちらとも言えない」という境界線上で揺れている状態も、なんだか新鮮で面白く感じられました。
現代は、世の中にレビューや評価があふれていて、自分で試す前から星の数で良し悪しが分かってしまうことが少なくありません。失敗を避けるための情報はとてもありがたいものですが、その反面、自分で迷う余地を奪われているようにも思えます。だからこそ、こうして自分自身の感覚で迷い、評価が定まらないものを生活空間に招き入れる経験が、とても贅沢なことに思えてくるのです。それは例えば、日常の中のこんな小さな瞬間に似ています。
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すぐに答えを出さず、ただそこにあることを楽しむ。白黒つけないまま、目の前の不思議な味と向き合う朝の食卓は、いつもより少しだけ豊かな広がりを持っていました。
分類できない痛みを、そのまま手のひらに乗せておく
誰かの胸の内を聴かせてもらう日々の活動においても、この「すぐには分類できない」感覚に直面することが多々あります。話してくれる人が抱えている複雑な痛みや、私自身が今まで触れてこなかったような遠い価値観。それらに触れた瞬間、すぐに共感の相槌を打つことが難しい場面が存在します。かつて祖母が教えてくれた「人の話をちゃんと聞くこと」という教えは、ただ耳を傾けるだけでなく、目の前にいる人から差し出されたものをそのまま受け取るという、とても根気のいる姿勢を指していたのだと、最近になって深く理解できるようになってきました。

かつて病院で働いていた頃は、目の前にある状態を素早くアセスメントし、どのような対処が必要かを即座に判断することが求められました。白か黒か、正常か異常か。そのスピード感が命を守る砦であったことは間違いありません。けれど、当時の私は、白黒つけられない曖昧なものを抱え続けることに、どこか恐れを抱いていたようにも思います。すぐに解決策を見つけなければならないという焦りが、話してくれる人の本当の気持ちを置き去りにしてしまうこともありました。
今の私は、目の前に差し出された未知の感情を、急いで解釈したり、自分の理解できる枠組みに押し込んだりしなくていいのだと考えています。よくわからない形をしたものを、ただ「そういうものなのだな」と、手のひらの上で転がしてみる。わからないものを、わからないままにしておくのは、とても体力のいる作業です。しかし、その保留の余白があるからこそ、話してくれる人もまた、自分の感情を急いで片付けなくて済むのかもしれません。ルバーブの酸味に戸惑いながらも味わい続けたように、人間の感情もまた、じっくりと付き合うことで見えてくる奥深さがあるのです。
酸味の行方を楽しみに待つ、明日の朝
朝食を終える頃には、ルバーブの強い酸味にも少しだけ慣れてきたように感じられました。それでもまだ、このジャムが私のお気に入りリストに加わるかどうかはわかりません。粗熱が取れた赤いジャムを煮沸消毒したガラス瓶に移し、蓋をしっかりと閉めて冷蔵庫の棚に収めました。いつもの見慣れたオレンジマーマレードやブルーベリージャムの隣に、少しだけよそよそしい顔をして並んでいます。その異物感が、今の私には心地よく感じられました。
明日になれば、この鮮烈な酸味を「もう一度味わいたい」と体が欲するかもしれません。あるいは、やっぱりちょっと刺激が強すぎると感じて、しばらく奥に追いやるかもしれません。どちらに転んでもいい。好きか嫌いか、白黒つけないグラデーションの中に、今の自分の感性が漂っているのを感じます。新しいものを試して、すぐに答えを出さなくてもいいという自由が、そこにはありました。それは、ベランダの鉢植えが新しい環境に馴染むまで、じっと見守る時の心境にも通じています。
窓の外では、まだ夏の強い日差しが照りつけていますが、風にはほんの少しだけ秋の気配が混じり始めました。急いで答えを出さなくても、季節は勝手に巡り、味覚も考え方も少しずつ移ろっていく。そんな緩やかな変化を信じて、今日はこの新しい瓶を眺めるだけに留めておこうと思います。次に蓋を開けるとき、私がどんな感想を抱くのか、自分自身の変化を楽しみに待ちながら。
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