この記事の要約
スマホの音楽アプリに残された、仮タイトルのままのプレイリスト。整理されないまま増えていく曲の並びに、あえて名前をつけないからこそ残る感情の余白があることに気づいた日の日記です。完成や効率を急がず、未完成のまま置いておくことの心地よさと、それが持つ優しさについて、デザインの視点も交えながら考えを巡らせました。
仮タイトルのまま増えていく曲たち
スマホの音楽アプリを開くと、「新プレイリスト 3」という味気ない名前のまま放置されているリストがある。もともとは、夜の首都高をあてもなくドライブする時のために作り始めたものだったはずだ。オレンジ色の街灯が流れていく景色に合わせて、最初は疾走感のあるシンセサイザーの曲ばかりを集めていた。

けれど数日後、お気に入りのカフェでグラスの水滴に目を向けながら、店内で流れていたゆったりとしたウッドベースの響きが心地よくて、ついそのジャズの曲を追加してしまった。さらに別の夜には、高校時代に夢中になったRPGのメランコリックなサウンドトラックまで放り込んでしまったんだ。
気がつけば、ジャンルもテンポもバラバラの、到底ひとつのテーマでは括れないカオスなリストになっている。普通なら「ドライブ用」「リラックス用」「ゲーム音楽」と綺麗にフォルダ分けして完成させるべきところだ。でも、なぜか僕はこれをそのままにしてある。
不思議なことに、今の自分にはこの雑多な並びがとてもしっくりきているんだよね。曲と曲のつながりに音楽的な規則性はまったくないし、シャッフル再生すると激しいビートの次に静寂のようなピアノソロが流れてきたりして、少し気分が振り回される。でも、そこには僕のここ数週間の気分の揺れ動きや、その日その時の小さな興味の移ろいが、手つかずのままパッケージされている気がするんだ。整えられていないからこそ、そこにある感情の輪郭がリアルに感じられるのかもしれないね。
名前をつけることで失われる余白
人はどうしても、物事に名前をつけて整理したくなる生き物だ。僕も仕事柄、UIデザインの中で「いかにわかりやすいラベルをつけるか」に毎日心血を注いでいる。情報は適切にカテゴライズされているべきだし、ユーザーが迷わずに目的の場所にたどり着けるよう導線を整えるのが、デザイナーとしての僕の役割だから。
でも、日常の中で生まれるささやかな感情や興味にまで、無理に名前をつける必要はないのかもしれない。名前をつけた途端に、その箱に入りきらないものがこぼれ落ちてしまう感覚はないかな。
小学生の頃、友達同士のケンカの仲裁によく入っていた。どちらが悪いと白黒つけるよりも、お互いの言い分を聞きながら「どっちも少しずつ嫌だったんだね」と、曖昧なまま着地点を探すのが好きだったんだ。正しさという一つの箱に収めようとすると、どうしてもこぼれ落ちてしまう小さな不満がある。教師だった母がよく「言葉にならない声に耳を傾けなさい」と言っていたのは、こういう曖昧な部分をすくい取ることだったのかもしれないね。
もしこのプレイリストに「夜のドライブ」と名前をつけてしまったら、僕はもう、雨の日の午後に聴きたくなるような静かな曲を追加するのを躊躇してしまうだろう。「ジャズコレクション」と名付ければ、そこからはみ出す電子音楽は排除しなきゃいけなくなる。定義されていないからこそ、どんな気分の時の僕も受け入れてくれる大きな器になっているんだ。「未完成」であることは、決して「足りない」ことや「怠惰」なのではなくて、まだ何にでもなれる可能性を自分の中に残しておくことなんだと思う。
下書きフォルダに眠る愛おしいアイデアたち
そう考えてみると、僕の周りには「未完成のまま」愛されているものが意外と多いことに気がつく。たとえば、仕事で使っているデザインツールの中にある「下書き」のフォルダ。そこには、クライアントの要件には合わなくて採用されなかったけれど、個人的にはとても気に入っているUIのアイデアたちがたくさん眠っている。

- ボタンの配置に悩んだいくつものレイアウト案
- 何度も色味を微調整したカラーパレットの残骸
- 結局実装しなかったけれど気に入っているアニメーションのプロトタイプ
これらは完璧な製品としては世に出なかったものたちだ。でも、そのデータを開いてみると、僕がどんなふうにユーザーの使い心地を想像し、どこで迷い、どんな新しいアプローチを試そうとしたのか、その思考のプロセスが鮮明に蘇ってくるんだ。
大学時代のインターン先で、僕が自信満々で作ったUIがユーザーテストで惨敗したことがあった。あの時は「完璧に作り上げた」という思い込みが強すぎて、ユーザーが立ち止まったり迷ったりする余白をまったく用意していなかったんだ。使う人のために作るという本当の意味に気づいたのは、その失敗があったから。だから今でも、迷いながら作っている途中のデータに触れると、あの時の未熟だけど真剣だった自分を思い出して少し愛おしくなる。
僕たちが作るアプリケーションは、ついユーザーに「完了」を急がせてしまうことが多い。プロフィールを100%埋めること、タスクを終わらせること、通知の赤いバッジをすべて消すこと。もちろん便利さを追求すればそうなるのだけれど、時には「あえて途中で置いておく」ことを許容する優しさがあってもいいよね。ただ文字を書き散らしてタイトルをつけずに保存できるメモアプリが案外長く愛用されたり、書きかけのブログの下書きが心の避難所になったりするように。常にゴールへ直行する効率だけではなく、迷いや未定の状態をそっと預かってくれる場所が、僕たちには必要なのかもしれない。
完成を急がない八月の夜
窓の向こうからは、微かに遠くを走る車の音が聞こえてくる。僕は今日もまた、「新プレイリスト 3」に、たまたま耳にして気に入った少しテンポの遅いインストゥルメンタルの曲を一つ追加した。リストの総再生時間はとうに3時間を超えていて、もう通して聴くことすら難しい長さになっている。
いつか気分が変わって、これを綺麗に整理する日が来るのかもしれない。あるいは、新しいリストを作って、このまま永遠に放置してしまうかもしれない。でも、今はまだこの「何者でもない」状態を、もう少しだけ楽しんでみようと思う。
未完成のままでも、そこにある熱量や、迷いながら選んだ軌跡は本物だから。綺麗に整えられた成果物だけでなく、その途中にしかないいびつな形も、それはそれで悪くないものだよね。君の手元にも、そんな風に途中のまま愛おしく思えるものがあるかな。
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