この記事の要約
六月最後の朝、日課のヨガをしている最中に起きた小さな心境の変化を綴っています。かつては無防備に思えて避けていた胸を大きく開くポーズが、今朝は不思議と心地よく感じられました。身をかがめて自分を守ろうとしていた病棟での記憶や、誰かに寄り添おうとして背中を丸めていた日々を振り返りながら、時間の経過とともに自分の好き嫌いや感覚が少しずつ更新されていく面白さを、静かな部屋の中でゆっくりと味わう朝の時間です。
避けていた後屈の姿勢と、窓越しに差し込む朝の光
今朝はいつもより少し早くに目が覚めました。台所へ向かい、小さなやかんでお湯を沸かしてゆっくりと白湯を飲み下すのが、私の静かな朝の始まりです。コップを両手で包み込むと、じんわりとした温もりが手のひらから伝わり、まだ眠りの中にいる身体を優しく起こしてくれます。六月も今日で終わりを迎えます。梅雨特有の重たい空気が幾分か薄れ、窓のすだれ越しに淡い水色の空が広がっているのを眺めながら、いつものように部屋の中心にヨガマットを広げました。

足の裏でマットの柔らかな感触を確かめ、深く息を吐き出しながら、ゆっくりと手足を伸ばしていきます。ヨガの動きの中には、さまざまな姿勢が存在します。地面に深く根を張るように両足で踏ん張るもの、身体を深くねじって内側の巡りを促すもの。その中で、私は長らく「胸を大きく開いて天井を仰ぐポーズ」に、微かな苦手意識を抱いていました。
両手を後ろに回し、喉元から胸の奥までをいっぱいに広げるその動きは、どこか自分を無防備にさらしすぎるような気がして、いつも早々に姿勢を戻してしまっていたのです。自分の内側にある一番柔らかい部分を、無遠慮に外側の世界へ向けてしまうような落ち着かなさが、どうしても拭えずにいました。
誰かに強制されているわけでもないのに、そのポーズの順番が巡ってくるたび、無意識のうちに呼吸が浅くなり、肩のあたりに微かな力みが生じます。そのため、これまでは無理に深追いせず、自分にとって安全で心地よいと思える範囲の動きだけを繰り返して日々を過ごしてきました。
身をかがめて自分を守ろうとしていた日々の記憶
どうしてあんなにも、胸を開くことに抵抗を感じていたのか。マットの上であぐらをかき、静かに目を閉じながら過去の自分へと思いを巡らせてみました。
おそらくそれは、看護服を身にまとい、慌ただしい病棟を駆け回っていた頃の癖が、身体の深い部分に染み付いていたからかもしれません。医療の現場では、常に前かがみの姿勢が求められます。ベッドに横たわる方々の小さな声に耳を寄せ、点滴の落ちる速度を確かめ、細やかな処置をする。そのどれもが、身を屈める動作の連続でした。
雪深い長岡で暮らしていた頃、元助産師の祖母はよく「人の話をちゃんと聞くこと。それだけで半分は治る」と教えてくれました。その教えを胸に抱き、少しでも相手の痛みに寄り添いたいと願うあまり、私は物理的にも精神的にも、前のめりになって相手を包み込もうとしていたのだと思います。
そういえば、中学生の頃に学校をお休みしていた親友へ、毎日何気ない日常を綴った手紙を届けていた時も、私は机に向かって背中を丸め、彼女の心に寄り添う言葉を必死に探していました。誰かのために心を砕こうとする時、私はいつも身体を小さく折りたたむ癖があったのです。
しかし同時に、それは過酷な環境の中で自分自身を守るための、無意識の防衛手段でもありました。絶え間なく鳴り響くナースコールの音や、張り詰めた空気の中で心をすり減らさないよう、背中を丸め、自分の内側にある柔らかい部分を隠す。そうやって小さな殻に閉じこもることで、どうにか日々の重圧をやり過ごしていたのです。
だからこそ、胸を張って外側へ向かって大きく開くという行為に対して、身体が本能的な警戒信号を出していたのでしょう。開いてしまえば、そこから何かが崩れ落ちてしまうような気がして、ずっと恐れを抱いたままでした。
肋骨の隙間を満たす、穏やかな空気の流れ
しかし今朝は、なぜか少しだけ違う感覚が訪れました。いつものように後屈の姿勢に入った瞬間、すぐに戻ろうとする自分を引き留め、ほんの数秒だけ長くその場に留まってみようと思い立ったのです。

ゆっくりと息を吸い込みながら、喉元を伸ばし、胸の中心を天井へと引き上げていきます。すると、いつもならやってくるはずの焦燥感や不安感は現れませんでした。代わりに訪れたのは、縮こまっていた肋骨の隙間一つひとつに、新鮮な息が隅々まで満ちていくような不思議な心地よさです。
吸い込んだ空気が気管を通り、肺の奥深くまで届いていく感覚。それはまるで、長い間閉ざされていた部屋の窓をすべて開け放ち、新しい風を迎え入れた時の爽快感に似ていました。
身体の前面が大きく引き伸ばされるにつれて、長く滞っていた何かが静かに流れ出していくのを感じます。鼻先をかすめるかすかな土の匂いや、遠くを走る車の低い音が、開かれた胸の奥へすっと沁み込んでくるようでした。
それは、恐れていた「無防備さ」ではなく、世界に対して柔らかく心を開くような、穏やかな受容の感覚です。もう、無理に背中を丸めて自分を守る必要はありません。今の私には、静かな千葉の部屋があり、緑を育む庭があり、こうして自分のペースで呼吸を整える時間があります。
過去の張り詰めていた自分が、長い時間をかけて少しずつほどけ、ようやく安心できる場所にたどり着いたのだと、身体の内側から教えてもらったような気がしました。
変わっていく輪郭を、ただ静かに受け止める
ずっと苦手なままだと信じ込んでいたものが、ふとした拍子に心地よいものへと姿を変える。その小さな奇跡のような瞬間に立ち会えたことが、今日の私にとって何よりの喜びです。
私たちが抱く好き嫌いや苦手意識というものは、決して固定されたものではありません。その時の環境や、心のゆとり、積み重ねてきた経験によって、少しずつ形を変え、更新されていくものなのでしょう。かつては自分を守るために必要だった「閉じる」という選択が、今の私にはもう役割を終えただけなのです。
マットを丁寧に巻き終え、部屋の隅に立てかける頃には、すっかり日が昇り、部屋中が明るい光で満たされていました。いつもと同じはずの景色が、ほんの少しだけ広く、鮮やかに感じられます。
台所へ戻り、今度は自分のために温かい紅茶を淹れる準備を始めました。お湯を注ぐと、小さく丸まっていた茶葉がほどけ、豊かな香りがふわりと立ち上ります。その自然な広がりを眺めていると、無理に変わろうとしなくても、ふさわしい時が来れば心も身体も自然と開いていくのだと、深く納得することができました。
これからもきっと、日々の暮らしの中で、自分の感覚が思いがけない方向へ変化していく瞬間に何度も出会うはずです。そのたびに、無理に理由を探したり、過去の自分に縛られたりすることなく、「今の私はこう感じるのだ」と、ただ静かに受け止めていきたい。
新しく見つけた自分の輪郭をゆっくりと味わいながら、今日という一日が始まるのを、とても穏やかな気持ちで待っています。
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