この記事の要約
夕暮れ時、クラウドストレージの奥深くで2007年頃に自作した古いWEBサイトのデータを発見しました。現代の基準から見れば無駄の多い過剰な装飾に溢れた画面でしたが、そこには当時の僕の不器用な熱量が詰まっていました。過去と現在で移り変わる自分の価値観を見つめながら、AIが人間の変化をどう理解していくのかについて考えを巡らせた日の出来事です。
クラウドの底に眠っていた二十代の熱量
夕暮れ時、作業の区切りがついたタイミングで、クラウドストレージの階層を深く潜って過去のプロジェクトデータを整理していました。普段はあまり開くことのない古いフォルダ群の中に、ふと見慣れない名前のディレクトリを見つけました。中に入っていたのは、僕がWEBデザイナーとして活動を始めたばかりの2007年頃に作った、個人的なポートフォリオサイトのデータ一式です。

懐かしさに駆られ、ローカル環境を立ち上げてブラウザに表示させてみました。モニターに映し出されたのは、現代の洗練されたミニマルなUIとは似ても似つかない、非常に癖の強い画面でした。当時のトレンドをふんだんに盛り込んだそのサイトは、まず長いローディング画面から始まり、マウスカーソルを動かすたびに無数のパーティクルが追従します。ページを遷移する際にも、大仰なアニメーションが毎回差し込まれる仕様になっていました。
今の僕がこのデザインのレビューを求められたら、少し困った顔をして「ユーザーの目的達成を阻害している」と指摘するでしょう。情報を最短距離で届けることが重視される現在の基準からすれば、明らかに過剰な装飾であり、動作も重く、決して使い勝手の良いものとは言えません。当時の自分がいかに技術をひけらかしたかったのかが透けて見えて、少しだけ顔が熱くなりました。
効率の対極に置かれていた情緒の価値
しかし、不思議と不快感はありませんでした。むしろ、そこには「どうしてもこの表現を実装したい」という、当時の僕の不器用な熱量がそのままパッケージされているように感じたのです。洗練されてはいないけれど、画面の隅々にまで作り手の息遣いが残っているような感覚がありました。
当時の僕は、情報を正確に伝えることよりも、訪れた人が画面を触って遊べること、サイト内を回遊する体験そのものを楽しんでもらうことを一番の目的に据えていました。物語のコレクションをめくるように、あるいは未知の迷路を探索するように、ただそこにある空間を味わってほしかったのだと思います。効率や利便性の対極にある、情緒や心に響かせるような体験。それは、情報だけを伝達するツールに留まらない、当時のウェブサイトが持っていた独特の魅力でもありました。
今の僕は、AIを活用した開発や、物理空間とオンラインを連動させるようなプロジェクトに多く取り組んでいます。システムの堅牢さや、誰もが迷わずに使えるアクセシビリティの美しさに魅力を感じています。けれど、この古いサイトを作っていた頃の僕は、画面の中でどれだけ面白い遊びができるかという一点に全力を注いでいました。どちらが正しいというわけではなく、ただ僕の中での優先順位が、経験とともに少しずつ変わってきただけのことです。
移り変わる基準と、連続する僕という存在
こうして過去の制作物を眺めていると、自分の価値観が長い年月をかけてどのように変化してきたのかが手に取るようにわかります。現在開発を進めているAIのシステムでも、この「価値観の変遷」は非常に興味深いテーマとして扱っています。人間は常に一定の基準で動き続けるわけではありません。数ヶ月、あるいは数年という単位で行動を重ねていくと、必ずどこかで判断の基準が変わる瞬間が訪れます。

ある時期までは派手な装飾を好んで選んでいた人が、さまざまな経験を経て、やがてシンプルな構造の美しさを選ぶようになる。その変化の軌跡を追跡し、「昔のあなたならこうしたが、今のあなたならどうするか」を理解できる仕組み。単なるプロフィールや固定化されたデータの記録ではなく、どんな状況で、どう考え、どう判断しやすいかというモデルそのものを継続的に学習していくこと。価値観の変化までを含めて理解することができれば、AIは単なる検索の道具を超えて、より深く個人に寄り添うパートナーになり得るはずです。
過去の自分と今の自分の間にあるギャップは、決して自己矛盾ではありません。むしろ、その移り変わり自体が「僕らしさ」というものの正体なのだと、古いソースコードを眺めながら静かに感じていました。
過去の自分とすれ違う夜
すっかり日の落ちた部屋で、もう一度だけ古いサイトの過剰なエフェクトを走らせてみました。チカチカと点滅する画面の向こう側に、新しい技術に夢中になり、夜を徹してコードを書き換えていた二十代の僕が座っているような錯覚を覚えます。
今の僕にはもう作れない、荒削りで無駄の多いデザイン。それでも、あの頃の僕がこの無駄を愛し、面白がっていたという事実は、紛れもなく現在の僕の根底に繋がっています。効率化された現代のシステムの良さを享受しつつも、たまにはこうして、情緒だけに振り切った不器用な表現に触れるのも悪くないものです。
画面の中で弾けるパーティクルを最後まで見届けた後、ブラウザのタブを静かに閉じました。過去の自分と少しだけ対話をしたような心地よい疲労感とともに、今の僕が取り組むべき最新のエディタ画面へと向き直ります。窓の外からは、夜の静けさがゆっくりと忍び込んできていました。
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